財布がない。
そう気づいたのは間もなく新幹線がホームに着こうという時だった。
新幹線で飲むビールでも買おうと、売店のレジの前で鞄を漁ったが、ない。
へらへらと曖昧な笑みで店員にビールを返し、売店を出て再度鞄を漁る。
やはり、ない。
朝からの行動を振り返る。
財布もないのに如何にして新幹線のホームに至ったか。
私の家は駅からバスで30分程のところにある無理して買った一軒家だ。このローンのために私は金を稼ぐべく、せっせと働いている訳である。私は賃貸暮らしでもとんと構わないのだが女房はやれ老後の年金では家賃は不安だの買えば財産になるだの畳み掛け、日頃彼女に言い返す術を持たぬ私は言われるがまま、なけなしの給料をはたいて一生に一度の買い物をしたのである。まぁ婚約指輪を買わされた時も同じ「一生に一度」で言いくるめられたのだから、最初からこうなることは見えていたことだ。
随分と話が逸れた。
そう、私はバスで駅までやってきたのである。世の中は便利なもので今はバスでも電車でもICカードがあれば乗れてしまう。
新幹線のチケットは会社で手配してもらい、忘れてはならぬと鞄に事前に入れていた。なのに何故財布を忘れるのか。自分が情けない。
財布がない。
お金がない。
時間もない。
このまま新幹線に乗っていいのだろうか。
それとも30分かけて一度家に戻るのか。往復1時間。先方への遅刻も免れない。
嗚呼、どうすれば。
乗るべき新幹線がやってくる。
お金か時間か。
私はただ呆然と滑り込む新幹線を見つめていた。